アダム徳永のスローセックスレポート

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立花礼子さん(仮名)41 レポート1

今回、思い切ってモニターに応募した理由は、先生の著書を読んで「こんな素敵なセックスを経験してみたい!」という純粋な気持ちと同時に、このような考えをもち実践しているアダム先生ご本人に、どうしても会ってみたくなりました。そしてまた、自分のセックス観、女性としてのセクシャリティをすべてリセットしたいという思いもありました。

幼少時より近年にいたるまで、性的なこと・男性体験にあまり幸福な思い出がなく、長い間、セックスにたいするネガティブな思いを払拭したいと考えていました。それには、カウンセリングやヒーリングなどよりも、実際に、本当に心地よい開放されたセックスを体験することが一番近道なのではないかと、常々思っていましたが方法がわからずにいたのです。

私が育った家庭では、セックスや性的なことを話すことはもちろんのこと、活字や映像など些細なものでもすべて厳しく禁じられていました。ちょっとした雑誌の付録などでも、怒られ取り上げられ厳罰がありました。もちろん男女交際(死語?)などもってのほかという感じ。なので、男女のことはすべて「隠すべきこと」「イケナイこと」といったネガティブなイメージが刷り込まれていた気がします。

思春期から青春期は、なぜセックスすればするほど、相手の男性との心理的ミゾが深まるばかりなのだろう、と絶望感を持っていました。それぐらいに、同世代の男子とのセックスはデリカシーに欠ける苦痛なものでした。実際、30歳過ぎにある男性と出会うまでは、自分は不感症だと思いこんでいました。でもそこで、メデタクもまったくそんなことはないことがわかり、それ以降は、肉体的な快感は増してきましたが、やはり心理面でオープンになれず、常に我慢したり内心疑問を感じつつも表面的には従ってきました。何か違う気がすると思いながらも、「忍耐と服従=セックス」って感じだったと思います。

初めて先生を見た瞬間の印象は、「なんて優しそうな人!」というものです。修行している僧侶とか、聖職者のような、なにか神聖で真面目で清潔な雰囲気のする方だと思いました。1000人以上の女性と交わり・独自のテクニックを開発してきた人、というイメージは意外なくらいにまったくしませんでした。

そのせいか、今までのセックス歴について詳しく訊かれたときも、まるで神父様に懺悔をするように(笑)すべて素直に答えていました。とはいえ、いざホテルの部屋に入ったらかなり緊張してしまったのですが、バスタブにお湯をためるあいだ雑談をしていたら、先生が「先に入ってますね」といってお風呂に行ってしまったので・・・、「ということはあとから入ってきてね、という意味なのかな?」と困惑しつつ、歯を磨いたりなんかして・・・ちょっと動揺していました。そうしたらバスルームのドアを開けて「おいで」って声をかけてくれたその笑顔がすごく優しかったので、えいっと勇気を出して・・・。いきなり全裸を見せるというのは恥ずかしかったけれど、かえって思いきれてよかった気がします。後ろから抱きしめられるようにしてお湯に身を沈めたとき、先生のペニスが大きくなってるのが見えて、わあ~~~~! って、なんだかうれしかった。

お湯のなかで、からだをやさしく触ったりなでたりしてもらって、ややリラックスしてきた頃、先生が私の背中に爪をたてたり、首すじをちょっと噛んだりするので、「どうして?」と訊いたら、「いや?」というので、「ううん、好き」と告白。じつは私は、ちょっと痛くされたり強い刺激を加えられるのが好きなんですが、「何でわかったんだろう??」「どうしてわかるの?」と訊いたら「本能」と答える先生に「さすが!」としみじみ感心しました。

ベッドに移動して、うつぶせ状態で背中やおしりをさするようになでてもらうと、パウダーの優しい匂いもあって、とても安心できました。アダムタッチは、「おぉこれが!」と感動。触れるか触れないかぐらいのほんとうにやさしいタッチで、とても心地よかった。私は、男性が「性欲一直線」モードになってガツガツ貪欲にせまってくるのがとても苦手で、内心すごく怖くなって、引いてしまうのを毎度我慢していましたが、先生はとても余裕が感じられて、なによりも自分が優しくされている・慈しまれている感覚が、安心とリラックスにつながります。全男性に声を大にして言いたいのですが、気持ちいいセックスのために、女性には安心感とリラックス感はほんとうに大事です!

先生のキスは、こんなにソフトでいいんだ、気持ちいいなあ~という感じです。過去の経験では、ひたすら舌をムリやり突っ込んでくるとか、あるいはべろべろ舐めまわすキスには本当にガッカリで、でもひらすら我慢。私は激しくお互いに舌を吸うようなキスというのがキスだと思っていたので(これはこれで気持ちいいのですが、ずっとやるのは疲れる)唇のやわらかさを楽しむ、いとおしむ、という感じの優しいキスは新鮮でした。

胸や乳首のタッチも同様で、今までは、ほぼ例外なく乳房をわしづかみにして「揉む」、乳首に「吸い付く」という感じでしたが、先生の触り方はとても繊細で優しくて、こんなにちょっとの刺激でも気持ちいいんだ、となにより心地よさとリラックスできることが新鮮でした。

うつぶせになって、少しずつ指が移動してアナルの愛撫を受けていたら、だんだん気持ちよくなってきて、自分からお尻を浮かしていたように思います。そうしたら先生が、アナルを舌で刺激しながら、指で軽くクリトリスを刺激してきて、とても心地よくなってきました。アナル自体はもとからあまり抵抗がなく、そんなに苦手意識はなかったですが、こんなにソフトに舐めたり触れられたのは初めてで、とろけそうでした。

私はじつはいままで、クリトリスというのは、それほど興味がありませんでした。理由は、自分でもできる、というのがひとつ。あとは、やはり挿入されて膣内での快感のほうがより深いし、気持ちいいし、比べ物にならないと思っていました。クリトリスでイクのは、一瞬の「点」の快感、でしかないと思いこんでいたんです。ところが、その思い込みは完全にくつがえされました!

これまでのセックスでは、クリトリスを指や舌で刺激されて、イキそうになって、軽くイッて、それでやっと念願のペニス挿入。相手の手順の流れを読んでしまって、男性の「早く次へいきたい」気持ちがわかるので、あまり落ち着かなかったんですが、先生はいつまでもずっとやさしく責めつづけてきます。今までは、「早くイカなくちゃ!」「どうせ中途半端なところで終わりにされちゃう」という焦りと諦めモードでした。でも今回、「ずっとやってくれるの?」と徐々にに安心しはじめ、そこから本当に感じることに没頭できました。そのへんから、わけがわからないくらい気持ちよくなってきて、いつの間にかずうっとイってるままの状態で頭の中は真っ白。最初のうちは「なにこれ! うそぉ~?」と思ったような気がしますが、そこから先はまるでさっぱり何も覚えていないぐらいに陶酔の極みでした。クンニでイキまくる、という体験はこれがはじめてです。大騒ぎしていたような気もするし、声も出ないくらい感じていたような気もするし、覚えていません。そのあと広範囲にシーツが濡れていて冷たかったので、潮吹いたりもしていたのかなぁ。

過去を思い返すと私の場合、かなり感じやすくイキやすいので相手の男性が、私が満足していると思いこんでしまう傾向がありました。実際感じてはいるので「でもちょっと違う」とはなかなか言えず、また自分自身も、それ以上その先にまだなにがあるのか、よくわかっていませんでした。

またイクことも濡れたり潮を吹くことも、「毎回また期待に応えなくては」というプレッシャーを感じていました。そうならないと彼ががっかりしてしまうから「がんばらないと!」って「風俗嬢かAV女優か!?」書いていて我ながらかわいそうになってきましたが(涙)、今まで、とことん受身で感じまくる状態でいることで、相手に合わせすぎていたと気付きました。それで、「満足させてやった」「オレってすごい!」と思わせるサービス精神というのでしょうか。つねに相手の心理を先読みして合わせてしまい、まず自分が楽しむ、という観点が欠けていました。当たり前ですが、これではのびのびと楽しめるはずもなかったと思います。今回、ここでイキまくったことの驚きと発見で、思い切り突き抜けてしまって、恥ずかしさとか客観的な視点は全部ふっきれてしまいました。

すでにその時点で、「フルマラソン完走!」ぐらいの腹式呼吸と発汗量。過去十年間にないくらいに、全身汗だくでした。すっかり頭真っ白になっていたので、次に「ここがGスポット」「ここがアダムG」「Tスポット」とか刺激されても、「もう何がなんだか・・・」状態だったのですが、最後のほうでもう一度、「さっき何にもわかんなかったでしょう」といって指を入れて教えてもらいました。そのときは、それぞれの場所と、感じ方の違いがよくわかりました。ただもうすでにいっぱい感じすぎたあとだったせいか、ちょっと感じすぎて苦痛・・・?という感覚だったかもしれません。

いつどのように、どんなふうにペニスを挿入されていたのか、あんまり覚えていませんがすでにほとんど意識朦朧としていました。最初は向き合って座ったままで、次第にいろいろ体位に変化させていって、、、騎上位が苦手と最初にいってあったのですが、「やってごらん」とうながされ自分から先生の上にまたがりました。今までなにがいやだったかというと、どうしても「見られている」という意識でいっぱいになってしまって、恥ずかしくなってしまうし、集中できなくなってしまうからです。なのにもう何にも恥ずかしくなくなっていて、いちばん気持ちいいポイントを探すのに一生懸命になっていました。

先生は仰向けで腕を頭のうしろに組んで、ほほえんで見ています。「ねえ、楽しいでしょ?」といわれて、「うんっ!」と答えていました。天真爛漫で好奇心全開の子供みたいな感じで、遊園地にいって、乗り物のっているうちにどんどんテンション上がって「全部乗っちゃえ~あれも、これも」「怖いからムリって思ってたやつも乗る!」「全部乗る!もっともっとー!」ってなっていくみたいな、無邪気な遊び心でいっぱいになっていました。開放するってものすごく気持ちいいし、ラクなんだって初めてわかりました。羞恥心がなくなって、嫌らしさとか、淫靡さとか、今まで私が「セックスに不可欠」と思っていた要素がぜんぜんなくなっていました。

セックスは、なにも特別なイベントではなくて、3度のごはんや夜の睡眠、とおんなじぐらいに当たり前で自然で、だからこそいちばん大事だっていうことの意味が自然にわかりました。
そのあと、ペニスは挿入されたままで、ルービックキューブみたいにいろんな体位をしたのは覚えているのですが、ほとんど連続でイキまくっていたので、詳しくは記憶していません。すみません。

ランダムに腰を動かして突いてもらって、子宮の中をかき回すみたいにあちこちに当たるのがものすご~~~く気持ちよかった。エンドレスでいつまででもイケる、という感じと、もう充分だからいつやめても満足、という感覚とが同時にありました。

気付いたら相当時間がたっていて、一度、トイレ休憩をはさんで、並んで寝転がって、ちょっと頭を先生の胸にのせるようにして、おしゃべりしながら先生のからだに触れているうちに、ペニスにも触れてみて、お返しがしたいなあと心から思いました。じつは今まで、フェラチオはとても苦手意識がありました。騎上位もそうですが、どうも自分から能動的に動かないといけないこと全般が苦手だったみたいです。

今までは、「あーわからないっ!」と思いながら見よう見まねでやっていて、自信もないし、やっぱり見られているのが恥ずかしくていやで、なんとなくお茶を濁していた、というのが、情けないことに私のフェラチオでした。でも、先生のペニスを触っていて、先生ばっかりこんなにいろいろしてくれているのに、「お返しがしたい」という気持ちでいっぱいで、でもやっぱりまだあんまり自信がなかったんですけれど、初めて、ものすごく真面目にフェラチオと取り組みました! きっとあんまり上手じゃなかったと思うし、どのぐらい気持ちよかったかどうかはやっぱりなんだか恥ずかしくて訊けなかったのですが、「もっと上手になりたい! 練習しよう!」という決心が生まれました。だんだん先生のペニスがかわいくてたまらなくなってきて、いつまでも見ていたい、かわいがりたい、みたいな気分でした。

それからいよいよ正常位でフィニッシュ体勢に入り、先生がとても大きな声を出して、「うぁああああ~~~~~~~~~~~」ってイった瞬間、「あぁ、なんて気持ちよさそうなんだろう~!」って感動しました。動物本来の姿、自然のままの姿という感じです。きっと、ライオンだったらジャングル中に轟くような、うっとりと気持ちいい雄叫びでした。そして私も、心地よさとすがすがしさでいっぱいになりました。いっしょに力が抜けて、深く息を吐き出すような、そんな瞬間でした。

そのあとで明かりを落として、少しだけうとうとしました。心地よい疲れと満足感にみたされて、くっついて眠るのはすごく気持ちよかった。子供の頃の夏休み、プールのあとのお昼寝に近いような、しあわせな感じです。先生はいつも、どんな体位のときでも、どんな動き方をするときでも、私に負担がかからないように、気を配っているのがよくわかりました。申し訳ない気がしてきてしまうぐらい。女性はひとりひとり感じ方や好みも違うだろうし、誰にでも同じことを同じようにしているわけでは絶対になくて、その人その人に合わせて変えているのだろう、と思ったら尊敬のあまり涙が出そうでした。そして、常に私の様子を見て状態を把握しながら、瞬時にプログラムを書きかえているのだろうなあと。頭が下がる思いでした。すべての行為を通してずっと感じていたのは、絶対的な信頼感――言い換えると、先生の誠実さ、自分のなにもかもすべてを託してもいいんだ、という安心感ですね。セックスについて、男性にたいして、そんなふうに感じることができたのは本当に画期的ことでした。

今思い出しても、とても不思議な体験でした。こうして書いていても、細部はとてもエロティックな描写なのに、ちっとも恥ずかしいという気持ちにはなりません。感じれば感じるほど、激しく反応すればするほど、内腿につたうくらい愛液が流れて出て、何度イッたかわからないぐらいにイキまくるほど、それはそれは神聖で健全で爽やかな心地がしてきて、嫌らしさからほど遠くなっていく、そんな新鮮な感覚を覚えていました。

セックスがこんなに、普通で健全で楽しくて当たり前にシンプルなものだったなんて。「今までのは一体なんだったんだろう?」「からだと心、フルにつかって感じること・表現することってほんとうに楽しいし気持ちいいんだ!」ってことが初めてわかりました。自分が、無邪気で天衣無縫な、生まれたての状態に戻っていくような、そんな感覚でした。いらないもの、身につけてきたガード、すべて解き放ったら、そういう自分に出会いました。「それがあなたの本来の姿です」と先生に言われて、「ああそうなのかぁ」って。そして、セックスはそれができる唯一の、男女が自由になれるための場所なんですね。

過去に経験してきたセックスのほとんどが、いかにジャンクなものであったか、というのは前からうすうすわかっていましたが、それもさることながら、セックスに至るまでの過程において自分はなんてくだらないことにエネルギーや時間を費やしていたんだろうと思います。求愛と拒絶、といった図式でセクシャルな欲望をカケヒキに利用してきたことが、とてもつまらないことのように今は思います。その結果の男性不信や男性恐怖だったと思うからです。そして、そんな自分が選んできた(引き寄せてきた)男性たちが、あまり褒められたものではなかったのも当然かもしれません。だから、彼らだけを責めるのは間違いですね。

はっきりいって、もう、セックス観がというより、世界観が180度変わった気がします。
思っていたとおり、観念より、理屈より、どんなセラピーよりヒーリングより、「体験に勝るものはない!」というのが実感です。これからそれを自分でも、実践していくことが本当にできるといいのですが・・・。アダム先生、大好きです。素晴らしい時間をどうもありがとうございました。



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