アダム徳永のスローセックスレポート

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黒崎アンナさん(仮名)45 レポート3

今回は5回目のセッションです。まずは一緒にお風呂に入りました。そして湯船で体を後方から抱かれ、愛撫されました。体に走る快感は、湯船の中で非常に鋭い感覚となって感じられた。アダムさんは女のツボを知っている男だなあと思う。後ろから愛撫されるスリルと、不意をついた動きは、後ろからの愛撫に限る。そんな事を知っているにくい男なのだ。そして後ろから抱きしめられる喜びは、安心が欲しい乙女心を大満足させる。

アダムさんのセックスの素晴らしさは、「気使い」と「徹底的に尽くす」事だと思う。シャワーを使わせてくれるタイミング。タオルやローブを勧めてくれるタイミングは素晴らしい。そして愛する人でさえそこまでは行わないだろうというレベルの「尽くし方」をしてくれる。それは女性にとっては、「愛の表現」と翻訳される気持ちの良い感覚だ。気使いも尽くされることも、アダムさんにかかると妙に感動的だ。「ここまでやってくれるの?」「良いの?」 という感覚が快感を生む。

さて実技は背中の愛撫から始まる。アダムパウダーを振って、ゆっくりパームタッチしてくれる。思えばずっと前に、初めてこのアダムタッチを受けたとき、涙が出て大泣きした。「優しくされたかった」というメッセージ以外はその時には出てこなかったが、時間をかけてこれは私の中で育ち、何度かのセッションの中でアダムさんを恋人として勘違いし始めるという場面も経験した。これも性エネルギーという深いエネルギーを動かしているために起こる当然の結果なのだろう。回を重ねる事で、アダムさんのエネルギーに慣れ、人柄を更に知り、緊張もなくなり、私の心の中の恋人や所有の投影もなくなり、とてもリラックスしてこのセッションという立場を経験している自分を感じた。背中の愛撫は、子供の頃の無邪気な自分を思い起こされる。大人が頭をなでてくれたことや、眠りに着くときに背中をさすってくれていた叔母の優しさの印象が、安心を連れてきてくれる。背中からアダムさんの愛撫が安心を連れてきてくれる。安心で心が開ききった私は、どんな刺激でも受け取ることの用意ができている。最初は性的でないタッチから入り、徐々に性感のあるあたりを取り混ぜながら、この愛撫は進んでいく。背中の次は、足、内股、しばらく忘れていた性的感覚が徐々によみがえる。このセッションが始まってから、「性的である事」は、非常に気持ちが良いことだと感じるようになった。時に毎日の暮らしの中でもこの「セクシーさ」を感じながら暮らすようになった。一人でいる時に、自分の敏感な部分、私の場合は腿なのだが、そこに自分でアダム・タッチを施すと、それだけで「性的な気分」が蘇える。その感覚は私の気分を高揚させてくれて、暮らしの中に女性的である事、感性的である事を維持してくれる。時には仕事中でさえも、これを自らに施し「気持ちよい感覚」を味わっている。

背中の愛撫から、表へアダム・タッチが施される。これはやっぱり、ずっと続けていて欲しい感覚だ。セックスという目的でなくても、このタッチを受け取っていたいと、女性達は思うと私は思う。少なくとも私は一番そばにいる男性にこのタッチで、いつでも触れていて欲しいと思う。天にも昇る気分がずっと続く。アダムさんが言う所の、アダムタッチで、性エネルギーが構築されていくプロセスは、非常に気持ちが良い。目を閉じている私には色々なビジョンが見える。青空だったり、宮殿であったり、ポジティブな好きな場所の景色が走馬灯のように走る。それらを通して、私の意識は遠くなり、この世的でなくなり、意識の深いところに入っていく。私は、生涯を通して瞑想を行ってきた者だが、このプロセスは、非常に瞑想的だと思う。意識の深い所から、他の空間への意識へ入っていく。

今回のセッションは、少々趣を異とし、至る所で教わったり、感想を言ったりするような休憩を入れながらのセックスになったため、いつもとエネルギーの動きに違いを感じた。それを通して一つ学んだ事は、休憩を入れてしまうと、せっかく構築されたエネルギーが、その続きから始めようというわけには行かないという事だ。感覚の世界に居るときには、右脳の「感じる世界」に没頭しているが、教わったり感想を述べたり分析している頭脳は左脳であることから、それらを挟むことによって、「エネルギーを中断してしまう」という事が良く理解できた。アダムタッチから、クリトリスの愛撫へ向かう時にも、一度何かで話をしたせいで、深く入っていくのに妙に時間がかかった。性のエネルギーへ深く下りて行きたいのであれば、女性はしゃべらない、というのがとても大事だと感じた。 少なくとも、私にとっては、分析的にならないという事が非常に大事だと感じた。セックスの時には、左脳はお休みをしてもらう必要があるという事のようだ。

左脳についてもう一つの考察があった。分析したり、批判するのが左脳の仕事だ。劣等感について、自分の中に大きな壁がある事をこのセッションを始めてから感じていた。左脳が発動すると、感覚器が鈍くなる。具体的にはどういうことかと言うと、アダムさんは仕事柄、たくさんの若い美しい女性達と交わっていて、私のように年齢も重ねていなければ、普通の美貌でもないだろうという想像が始まると、アダムさんがこの時間を楽しんでくれてはいないのではないかという不安の気持ちが大きくなって、感じるという喜びが半減してしまうという事だ。若くも美しくもないのであれば、他の事で喜ばせたいと思っても、一体どうすれば良いのかがわからずに、ただ感覚は鈍くなっていく。今回は、「楽しむぞ~~」という意気込みで来たので、そういう事は起こらなかったが、常に私の努力は、右脳的でいようと言う事だ。

アダムタッチの次には、クリトリスを指で愛撫してくれる。柔らかく柔らかく触ってくれる旋回は限りなく気持ちが良い。そしてその後のクンニは、快感といいビジュアルといい素晴らしい。クリトリスを思いっきり広げて皮をむかれて、その中を刺激する。体の中心に直接刺激を受けているような感覚だ。舌はクリトリスに、あごは小陰唇を刺激する。気持ちが良いというレベルの感覚から始まり、エネルギーは徐々構築されて高まり、10分ほどすると、とうとうそれは爆発して、上向きの階段状の絶頂エクスタシーへと導かれていく。これに慣れて当たり前になっているのが不思議だが、慣れてきた道とは言え、ここはいつでもスリリングだ。頭がいつものように空っぽになる。当たり前にこの絶頂に導いてくれるアダムさんは偉大である。今回はアダムさんが刺激を与えてくれている間中、自分の実験も行っていた。この快感エネルギーを、背骨を通して頭脳に持っていく行為を自分の中で行っていたのだが、なぜか頭の中には入らずに、首に止まってしまい、首が妙に熱くなってしまった。頭に入るときは当然頭の中が熱くなり意識の変容が起こる。頭からエーテル体へのエネルギーの転換をするのが目的であったのだが。とほほ。興奮しすぎると、エネルギーワークは難しい。

この桃源郷を長い間感じさせてくれた後、AGスポットの刺激に入る。しばらく指を動かして刺激を与えてくれる。 ここはいつもながら不思議な感覚だ。しかし回を重ねる毎に、感覚が強くなっていく。徐々に開拓されているのだと思う。先にはどういう快感が待っているのかを感じるのが楽しみだ。ここは子宮の中でも神経が集っている一番の中心なのではないかと思う。多次元から持ち出されるエネルギーと関わりがあるのではないかと考える。クリトリスを刺激され、エネルギーが構築されて体が興奮しきっていることで、ここではアダムさんの指がAGスポットに触れているだけだが、超興奮が続く。息が荒くなり、「ガオーッ」という声が出てしまう。快感と快感が強すぎる刺激を耐えている中間に居る感覚だ。この興奮状態では何も考えられない。ただただこの過度の興奮の中にいて、そこに居る喜びを味わっている。指をそこから離しても、この興奮は続いた。これは止めようと思わなければ、ずっと感じていられる非常に特別な感覚だ。まるでスイッチがオンに入っているかのような感覚だ。野生のうめき声が出てしまう。ボーカルトレーニングにはもってこいではないかと思う。

実はこのあたりから、次に何をやったのかの記憶がない。ペニスをフェラチオしたのか、ペニスをそのまま挿入されたのか。興奮状態に入っていて、記憶の順番があやふやになっている。その程度の記憶によれば、ペニスを入れてくれて、例によって、色々な体位でぐるぐる回してくれて、今回は騎乗位を楽しませてくれた。自分が気持ちよいのと、アダムさんが気持ちよいのは、多分異なるのだろうと思った。腰の回し方、もみ方、それによって男性が気持ちよい、そんなテクニックがあるのならそれも学んでみたいものである。アダムさんが攻めている時と、自分が腰を使っている時、それは両方とも、ある意味で片側からのアプローチで、エネルギーが交わっていないのではないかという気づきが来た。

性の本質が、情熱の「火」のエネルギーであると私は思うのだが、性行為で、男性と女性が行うべき事柄は、この火を共同作業で上手に大きくしていく事。または上手にその火を保っていく事ではないかと思う。そういう立場に立つと、アダムさんにそれを全面的に任せている私がいて、「勝手に火を付けてよ」とお任せで、ほっておくような所があるのを今回は感じたのである。良いセックスと言うのは、両側からのこの無意識のアプローチがあるセックスなのではないだろうか?女性から見れば、男性の優しさとして映る行為であり、男性からは、女性のエロチックさとして映る行為かもしれない。これらが、いつまでも続く「火」のエネルギーを二人の間に灯しておくのではないだろうか。そういう意味では、女性もこのエロチックさを、上手に演出する必要があるのかもしれない。エロチックであるとはどういう事か。そういえばアダムさんはエロさという事を語っていた事があったなあと思い出す。 しかし、私はエロチックさとは何だか全く解らないし、無縁であった気がする。ちょっとこれも学んでみたい。

つぱつぱに細切れにされた今回の性行為の中で、「おしゃべり」の後に、クリトリスとAGスポットのダブル攻撃を頂いて、あれ~~、おしゃべりでさめていたはずの局部がすぐに蘇り、クリトリスの上の方の快感から始まり、AGスポットの奥の感覚がその後に加わり、下半身一帯に快感の渦が起こり、緩やかに緩やかに絶頂に導かれた。一山の絶頂と、それに続き平行線の感覚がしばらく続き、平坦な所へ降りていった。思えばセッションが始まって以来、膣で行かせてもらったのは今回が始めてだ。というのもクリトリスの快感が強すぎて、その後に続く膣の快感はクリトリスの絶頂とは異なっていたからだ。

またもやおしゃべりが始まって、しばらくして、「じゃあ、クンニをもう一度」という事で行って頂いた。絶頂感には至らないものの、快感はあり、素晴らしい感覚の世界を味わう。絶頂感を知っていると、それを求める。アダムさんは、それは求めなくて良いと言うが、幾度も幾度も味わいたいし、味わえると思う。そこにはコツがあるのだと思う。エネルギーの構築。火のエネルギーの持続の仕方。使い方。心理の扱い方。決してそれに固執する必要もないし、また固執してもいないが、絶頂のエネルギーの扱い方と解明が、私にとってのこのセッションとしての実験のフォーカスでもあるのだ。バラエティーとしてのさまざまな感覚と共に、絶頂のエネルギーの性質を知る事、それは王者の道、王道を究めたい私の視点でもある。

エネルギーがぱつぱつに切れ、お互いの性エネルギーが、弱まったのだがフィニッシュに向けて今から行こうと言う時に、私は同時にフィニッシュしたいと主張。少し待っていてくれたら、行くことに追いつくからと、マスターベーションを始める。見事に空っぽになったエネルギー状態に、クリトリスをいくら刺激しても、全くエネルギーが動かない。これは自分でしているからなのか、観られているからエネルギーが動かないのか、はたまた本当に空っぽなのか。この方法はだめだとあきらめて、ペニスの愛撫の教授をお願いする。

ペニスの愛撫の実技へ入る。 前回は、得点30点と見事に赤点を取ったようだ。アダムさんに「何点か」と前に聞いた時、思いやりから何点とは明かさなかった。つまらなそうにしているのが伺って見えた。このあたりは非常に素直で顔にでる。出来ないことがあると悔しい私は、アダムさんに教授を乞うた。いくつかの注意点と留意点を教えられ、実践に移る。どこに喜びのツボがあるのか。どのように手を動かし、どのようなタイミングで行うべきかの指導を頂き、実践させていただいた。四苦八苦しながら言われたように行い学び試してみる。筋が良いくらいな事を言われ有頂天となり楽しくなってくる。だんだんコツがつかめてきて、どうしたらどう反応するのかが解るようになった。単純な動きと不意を付く動きを交互に混ぜて、不意をつく動きさえも、安心できる順番の中に組み込む事で、上へ上への快感が感じられているのではないかと想像しながら手を動かしてみる。今度は面白いほどに反応をしてくれる。男性を喘がせる喜びを知ってしまった。これはやめられない楽しいお遊びになってしまった。 しかし、ちょっと他の人に練習してみるという訳にもいかない手わざなので、宝の持ち腐れだなあと思う。まあ、オープンそうな男の友人でも誘って、練習をしてみようかと思う。今回の点数は80点だそうだ。100点、120点を目指して私の指技は磨かれるのである。

さてアダムさんのペニスと真剣に格闘している私は、客観的に見ればかなり滑稽に見えるのであるが、ペニスと言うものは、ただ単なる体の一部と言う訳ではなく、女性にとっては、また特別に私にとってはという事かもしれないが、ペニスと言うものは特別な部位である。単なる突起ではなく、それは世界の中心である。私は哲学者であり、同時に官能を喜ぶ女性の肉体を持つ動物でもある。その両方がこのペニスを世界の中心だという意見に同意する。哲学者はここを宇宙のエネルギーの生まれいずる所であり、向う側の爆発する性エネルギーをこちら側の精子に転換する所だと言う。メスである肉体は、歓喜のエネルギーが全てここから生まれてくる事を良く知っていて、おあずけを食らう従順な犬のように真剣にそれを待つ。まだ勃起せずにいる小さな「さなぎ」である時からそれは、輝きを放っている。 エネルギーにとても敏感である私は、このさなぎが大好きだ。さなぎであるエネルギーが、振動し、大きな爆発をする準備に入るときのセクシーさは興奮を呼ぶ。さなぎに興奮が注入されるとき、文字道理の振動を経験する。手に振動を感じ、手が震えてくる。いきり立ったペニスに変身するその様を、美しいと思う。 それはガンダムが戦闘体制に入るために、カシンカシンと変身していく様子に似ている。にゅるにゅるとした肉片が、固形の快感如棒へと変身するのである。それも刺激の与え手である私のコントロールによってもっと固くも、もっとソフトにも変身するのである。これは女性の喜びになって良い。楽しいお遊びだと思う。

ペニスの愛撫をして、楽しんでいる時に、視覚が変化して、これは度々起こる私の中での現象であるが、ペニスから光が放出されているのを見た。光の粒子というべきか。それはインディゴ色の粒子で、「創造」の光の色である。 ペニスが子孫を創造する器官である事を考えると、これは納得の色である。しかしペニスの周りにインディゴ色を見るとは、素晴らしい体験であった。白と深い藍色が交差した色である。さて授かったばかりの技術を駆使して、インディゴ色を見ながら、手は興奮し、心理的にも興奮しながら、10分、20分と遊戯を繰り返し、緩めては責め、緩めては攻め、アダムさんも喘ぎ、それを見て興奮している私も心理的に喘ぎ、それは快感の最高潮に達する。体が硬直し、精子を放出しながら喘ぐアダムさんの雄たけびが響き渡る時に、流れるエネルギー場の張り詰めた感覚を感じた。それは通常の膣内に挿入されている時には正常な頭で居られない事から味わえない、特別なエネルギー場であった。遊園地に連れて行ってもらえず、置いていかれた子供のようなしょんぼりした気分と、全てを正常な頭で見て、感じていられる特別な機会を楽しんでいる二つが入り混じったものだった。張り詰めた空気に、亀裂が入るようなそんなエネルギーの動きだった。アダムさんの下半身の硬直と精子の放出をまず一瞥して、エネルギーを感じようとしている私がいて、次の瞬間に上半身にさっと目を移動させ、頭を抱える形でもだえて、その瞬間を迎え歓喜しているアダムさんの様子を殆ど瞬間のうちに見て、何が起こっているのかをその次の瞬間に記憶しようとする私がいた。アダムさんの歓喜の声は、激しく狂おしく、いとおしい。いくつかの区切りを持って、感じている。女性の喜びは、長い時間に渡って深く感じられるが、このアダムさんの様子を見ると、男性だって、深い喜びを感じるのではないかと思う。少なくとも、このビジュアルとエネルギーの流れからは、そのように感じられる。 次の機会には、もっと深い喜びを味わって頂こうと、今から指が鳴る。攻めてはゆるめ、ゆるめては攻め、ゆるめては攻める感覚をもう少し学びたいものだ。男性の喘ぎはそれはもう美しい。アダムさん、男性の喘ぎを見せてくれてありがとう。これはどの女性にもマスターして欲しい性技術の一つだ。女性も受け取るばかりではなく、与えられる喜びを実感する事ができたら、性の喜びもまた異なった側面を持つ事となるだろう。

アダムさんと性のセッションと言う形で性の交わりを始めて、人に言われることは、とても綺麗になったという事だ。離婚をして4年、まじめに誰とも性交渉を持たずに来て、11歳の娘の子育てと仕事に生きてきた私は、思えば「性」の大切さを忘れていた。男性エネルギーが枯渇するため、男友達からエネルギーをもらうために洋服をきたまま10分程密着していてもらうという事をしていた。それで、毎日の生活のバランスを取るには十分な男性エネルギーが補充できる。しかしアダムさんとの性交渉では、全く異なったレベルのエネルギーの交換が起こる。 アダムさんによれば、彼とのセックスの後、疲れて心地よい眠りに付く女性たちがいるとの事だが、私にはそれは真実ではないそればかりか、私の全ての細胞は活性され、喜びとエネルギーで溢れた体になる。全ての栄養素が補充された感覚で、体が心地よく元気になる。眠るどころではなく、これから何か創造的な事ができそうなくらいにパワフルになる。

最近の現象は、男性達にモテることだ。というか男性達が性的に寄ってくる。それは私の性エネルギーが開いたおかげで、そして性エネルギーを自分でも毎日の生活で楽しんでいるために、男性達がそのエネルギーをかぎ分けるのだと思う。若かった頃に、綺麗なのにモテなかった私と、取り立てて何の魅力もないように見えた女の子がいやに男の子達にモテていたのを思い出す。それはこの性エネルギーの動き方に秘密があったのではないかと思う。 男友達とお酒を飲みに行けば、友人達が酔っ払って、私に甘え始める。可愛い男の子に変身して、妻帯者たちであるので、お遊びのくどき遊びを始める。スコットランドに行った時、スピリチュアル・ダンスの中で、性的な踊りをシェアしたスコットランド人男性からは本気で口説かれる。パリに遊びに行った時には、パリの地下鉄で、若いハンサムなパリジャンから痴漢行為を受ける。どれもこれも私にとっては、普通の暮らしにはない経験で、45歳前の女性に起こるべきことではないのである。町でも、タクシーに乗っても、ダンスのクラスに行っても、どこでも女性として大切に扱われる。本当にびっくり現象である。そして女性として扱われるのはとてもうれしい。

最近きれいになったねと言われるので、女性としての自覚も生まれ、可愛い洋服や素敵な靴を買ってみたりする。 女性として自分を飾れる特権を喜んでいたりする。それは久しく味わっていなかった感覚だ。女性として扱われ、女性としての喜びを味わう事。それは年齢に関係なく素晴らしい感覚だ。近頃は素顔でどこにでも行っていたが、久しぶりにお化粧もしてみた。いつもと違う自分が鏡の中にいる。上手に紅が引けて、上機嫌の私がいる。鏡の向うの飾り立てられた私。それでいてはかない私を喜んでくれる殿方がいるとは、何たる至福だろう。

さてこのアダムさん効果は、一体どこまで私を変身させていくのだろう。女性は時には淑女のように、時には娼婦のように、時には少女のように、変身していく。今日の私は、どの私を演じようか。紅を引きながら、鏡の中の自分に笑いかける。



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